人参とは?

人参について詳しくご紹介します

人参について詳しくご紹介します 『ウコギ科の薬草人参』
食卓に並んでいる野菜の人参とは違う?
一般家庭で食べられている野菜のニンジンはセリ科であり、植物分類学上、別の種になります。「せりにんじん」などと呼ばれ、現在、基本野菜として広く使われており、単に「にんじん」と呼ばれることが多くなってきました。さらに、ウコギ科の薬草人参は西洋医学の発展と共に、薬用としても次第に使われなくなっていったことから、「人参」といえば「せりにんじん」を指すことが普通になってきました。その後、双方を区別するために、「朝鮮人参」の名前が使われるようになりました。
戦後、日本の人参取扱業者が、輸入元である韓国に配慮して、「薬用人参」と呼ぶようになりました。しかし、「薬用」は薬事法に抵触すると行政指導を受け、「高麗人蔘」へと呼び名が移っていきました。

なじみの深い人参4種をご紹介します

人参には有効成分サポニンが含まれており、サポニン成分の含有量や種類の違いによって、人参の効果効能が異なります。
ここでは、田七人参の他に一般的に広く知られている朝鮮人参、別名高麗人参や竹節人参、西洋人参についてご説明致します。

田七人参の原産地中国へ研究員たちが行ってきました!田七人参の旅♪

田七人参の産地へLION研究員が行ってまいりました。現地風景や栽培状況、加工販売される田七人参。
現地調査の結果をご紹介いたします。

  • 詳しくはこちら
  • 詳しくはこちら
  • 詳しくはこちら

日本における薬草人参栽培の始まり

日本における薬草人参栽培の始まり江戸時代より、日本での薬草人参の栽培が始まりました。 1607年に、徳川家康が伊達政宗らに朝鮮から献上された人参の種子を与え、試作を命じました。しかし、栽培は成功には至りませんでした。

そして、人参栽培への取り組みが始まってから約100年後の1722年に、医薬にも関心のあった8代将軍吉宗が人参の国産化に取り組み、本格的な栽培研究が始まりました。
この頃、薬用植物の栽培が行われるようになった小石川薬園(現小石川植物園:東京都)でも人参の試作研究が続けられていました。しかし、気候が人参栽培には適していないことがわかり、栽培拠点は日光へと移されました。

その結果、1728年に日光御薬園(現日光植物園)ではじめて日本での薬草人参の栽培に成功しました!

日本全国に薬草人参の栽培が広がる

日本全国に薬草人参の栽培が広がる 日光御薬園で得られた種子は全国の藩に分けられました。また、1736年に、幕府は一般の希望者へも種子を配布する旨の布告を出し、販売が始まりました。こうして、各地の大名へと御種を分けたことから、オタネニンジン(御種人参)という名が生れました。
一般的に人参というと、御種人参(または高麗人蔘、朝鮮人参と呼ぶ)のことを指して呼ばれています。
1760年頃には、日光御薬園のオタネニンジンは5万株と数を増やし、広く栽培されるようになりました。それ以降、朝鮮人参の輸入の必要はなくなり、国内での栽培が主流となっていました。

国内栽培から輸入品への転換

幕府崩壊後、日光地方における人参の人工栽培は終わりを告げました。しかし、人参の栽培技術は日本全国に拡がっており、1960年代までは日本の人参需要の全てをまかなうことができました。その後、安い韓国品が輸入されるようになり、国産品の需要は減少していきました。現在は、会津(福島県会津若松付近)、信州(長野県丸子付近)、および出雲(島根県大根島)で人参の栽培技術が引継がれています。しかし、ほとんど中国、韓国からの輸入品に依存するようになってしまいました。

薬草人参の特徴

薬草人参の特徴 人参は中国長白山付近を原産とされるウコギ科多年草植物です。
現在では、中国東北の各省、特に吉林省に僅かに自生しています。吉林省や朝鮮半島、そして日本で多く栽培されています。
地中に埋まる根の部分は、肥大して分岐していく性質を持っています。茎は地上部に出て直立し、成長して1本の枝に数枚の葉をつけます。種を播いてから5〜6年目の、8〜9月頃に収穫します。

長い歴史を持つ「伝統薬の王」!

長い歴史を持つ「伝統薬の王」!人参は、古くから薬や食用としての栽培が
行われてきました。
中国漢方医学の原典「傷寒論」(後漢25〜220年、張 仲景編纂)や、漢方の薬物書最古の古典と言われる「神農本草経」(500年頃、陶 弘景編纂)にも、人参の記載があります。漢民族、朝鮮民族による人参の利用は、おそらく、紀元前から始まっていたと考えられます。
日本での人参の起源は、739年、渤海国(698〜926年)の使者が進上品として持ち込んだのが始まりです。当時人参は重要な国家財源の一つとされており、人参財源によって渤海国が繁栄したとも言われています。国家儀礼の最高の贈物であり、高貴なものとされていました。